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 2017/02/12


【新規広告】
すっかり無音となっていますが年末から風邪で臥せったままとなっています。
低年金と生活扶助によるナショナルミニマムの困窮生活は悲惨になる一方です。
そこで新春企画第一弾の救対事業をはじめることにしました。
食い物と酒のカンパを宜しくお願いします。
《支援物資の送り先》
〒385−0011 長野県佐久市猿久保890−12−503 閑人舎 新藤厚
080−1329−3131
 2016/11/30


【特大広告・大拡散希望】
はやいもので今年も北風の冷たい師走となりました。
また貧乏人恒例の越年越冬歳末助け合い運動の告知です。
正月ぐらい人間らしい食い物を喰いたい。
冬季は暖房のある部屋で過ごしたい。
愚老の勘では来年が最晩年となりそうな気がするので生前供養のつもりでご協力下さい。
頂いた金品は(殆ど更新しない)有料ブログ「閑人舎通信」の購読料となります。
購読料が集まったら生活保護基準のパセティックな独居老人のくらしをお伝えします。(最低、週一更新)
下流老人予備軍には役に立つ記事を配信します。
縁のある方もない方も応能のご厚情をなにとぞ宜しくお願いします。
《義援金・支援物資の送り先》
〒385−0011 長野県佐久市猿久保890−12−503 閑人舎 新藤厚
080−1329−3131

 2016/10/29


朝の気温が氷点下まで下がるようになった。
また半年間の長い冬がはじまった。
晩秋の陽がほころぶような小春日和もあれば寒風の吹く初冬の陰鬱な日々がせめぎぎあう。
ただ老齢年金と生活扶助を上手に使って灯油代だけは確保しなければならない。
毎年それに失敗して凍える部屋で電気炬燵に潜り込んで冬眠していたりする。
この寒冷地で冬季は電気を止められれば凍死するようなリスキーでスリリングな時候である。

低年金といえば「生活保護のリアル」のみわよしこが補足性の原理から言って年金プラス生活保護利用者は「年金生活者(生活保護併用)」というべき、と書いていたので名刺の肩書を「ナマポ」から「低年金生活者」と変えた。
団塊世代は肩書が好きだから何かついていればいいのである。

今週はよく遊んだ。
24日。172大河原峠〜北横岳(2480米)。
早朝の大河原峠は氷点下2度、ガスが立込め寒風吹きすさぶ初冬の山。
双子山の山頂あたりで双子池で野営した3組ほどとすれ違うが全員が若い山屋だった。
双子池から天狗の路地経由大岳。難路の尾根を北横へ。
ピークまで丁度4時間の行程はコースタイムどおりでどうにも慊いが老いは登りで現れるから致し方ない。
途中から青空も出てパーカーを薄手のものに替える。山頂からは素晴らしい眺望。
とくに御岳の威風が印象的。遂に行きそびれた三千米峰……。
亀甲池に下山して天祥寺原から蓼科山に登り返すという予定だったがだらしのないことにもう足が動かなかった。
峠に戻り畑中の店で珈琲を馳走になって帰ってくる。
27日。173御座山(2112米)。
この山行記録は既にフェイスブックに写真とともに載せてあるから省略。
きょう29日は174蓼科山(2530米)に登ってきた。今年8回目。
下界は青空がのぞいていたが峠に上がっていくと途中から濃霧。峠は気温2度強風。クソ寒い。
寒いからパフォーマンスを活性化して軀を温めるという運動生理である。
登山道は昨夜の大雨で親水公園か潺の小径といった塩梅で歩きにくいのだが、気がつけば老人にしては結構いいペースで急登を熟していた。
そうなるとついつい記録に挑戦してみたくなる。バカなジジイであった。
結果は2年前の1時間32分を5分縮めた。単に寒さのせいである。
山頂は濃いガスで視界は10米ほど。
強風で岩場に立っていられない。1分もいないで下山した。
明日で営業を終了するというアダモで畑中夫妻とだらだらと無駄話をして帰ってきた。
それにしてもこんな僻地で畑中もよくやったものである。
店名が辻まことからとった「アダモ」ならばアルプの正統である。ならばヤマケイあたりに取り上げられてもいいだろう。

閑話休題。これで10月は8山に遊んだ。
9月が天候不順で4山しかできなかったのでその反動である。
今年登った山も45山を数えた。
そんな遊び自慢をしていたら誰かに「一日1時間でいいから週に5日働いてみろ」と言われて降参した。
無条件降伏。だって「自由への王国」への道は休日にしかないとマルクスも書いている。
しかし、この国の「労働万能説」は少しく異常である。
だから老人の「隠居万能説」でさみしく対抗している。
5年前に山歩きをはじめたところ翌年にはキドニービーンズに疾病が見つかった。
人工透析まで「あと4年」と宣告されて、元気なうちに百山ぐらい遊ぼうとつけはじめた山行ナンバリングだった。
それもいつの間にか100を超え助平心で200を狙っている。
まあ、ひとの欲望とは際限がないから醜悪である。
それも体調から今年限りと相成りそうである。
ようやく緩慢な自殺にエンドマークが打てるのである。素直にうれしい。

このところ新聞の訃報で懐かしい人の名がつづいた。
中西夏之。これでハイレッドセンター全員が幽明境を異にすることになった。
いちばん好きだったのは高松次郎、次が中西だった。
新橋・内科画廊で何度か見たがその画廊名の由来については最近読んだ佐野眞一の『唐牛伝』で知った。
トム・ヘイデン。あのチェカゴ・セブンのひとり。
高井有一。新宿の朝カルでこの人の作文教室に座っていたら「君なんて来なくていいのに」と言われた。
『立原正秋』は名作である。そういえば角館の人だったか。
 2016/10/22


群青忌(10月20日)には閑人忌につづいてまた畑中を連れ山歩きに行った。
畑中は野村さんの著作をすべて読んでいるというファンだから記念登山には丁度よい。
これまでも特別な日には格別な山に登ってきた。
今年は171主峰赤岳(2899米)に出かけた。
最近の体力減衰を考えると赤岳に登れるのも今年かぎりという気がしたからである。
まだ暗いうちに佐久を出て7時前には清里のスキー場上から歩きはじめた。
抜けるような青空の絶好の秋山日和である。
ときおり尾根を渡る風は乾いてつめたい。
のんびりと奥秩父、富士、南アルプスの絶景を堪能し写真を撮ったり話しながら行くので大天狗まで3時間もかかった。
そこから山頂までがハシゴとクサリ場の連続する難所である。
前日にも隣の真教寺尾根の山頂直下で同世代の老人が滑落死している。
その岩山途中で愚老もまたこれまでになくバテた。
ヒラメ筋に乳酸が溜まって数歩登っては頻脈に喘ぐという為体である。
最後の100米ほどは畑中を先に行かせて必死で若者の背中を追った。
野村さんに笑われているような群青忌らしい山遊びとなった。
山頂で冷たい風に吹かれて八ヶ岳連峰のすべてを眺めやる心地は素晴らしかった。
野村さんの映像もむかし小生がTBSの番組でインタビューしたものがユーチューブ(www.youtube.com/watch?v=V5KofrU54pE)に載っているが殆ど見ることはない。
「なあ厚さんよ」という野村さんのあの笑顔と声はいつまでたってもすぐ身近にあるからである。
わが悲惨な生涯でもっとも影響を受けた人物といえば阿部勉さん以外には野村さんだろう。
シニカルに言えば死者の生気はけして失われることがないのである。
最近、山平重樹がまた野村さんの評伝『激しき雪』を出版したが、読んでいて事件直後に山平の自宅を訪ねことなどを思いだした。
もうあれから四半世紀が過ぎようとしている。
まだ生存している老体がつくづく不思議である。

浜矩子『アホノミクス完全崩壊に備えよ』 まあファンだから。
マイケル・ロボサム『生か、死か』 このところミステリーに先祖返りしているが、このゴールドダガー賞作も絶品だった。クソ面白かった。
 2016/10/17


朝の最低気温がヒトケタ半ばになっていよいよ寒冷地の冬がやってくる。
これからの半年は貧困老人には厳しい季節である。
灯油代金の捻出は命にかかわるから実に何よりも大変である。
飯は一日二食に慣れてしまったらふりかけ飯だけでも何の痛痒もない。
コメは山ほどあるから栄養不良にはなっても餓死することはない。
そういえば先日、老齢年金が出たのでつい気が大きくなり支那そばを食いに出かけた。
たぶん自腹では今年はじめての外食だろう。
そうしたら300円だったはずの支那そばが100円も値上がりしていて吃驚した。
新聞ではデフレが戻ってきたと聞いていたので話が違う。
たれかが馳走してくれない限りもう二度と外食の機会はないだろう。
そう思うと少しく淋しい気になってきた。

先週、曇天の陰鬱な日だったが畑中がどこか手軽な山に行きたいというのでふたりで169茂来山(1717米)に遊んだ。
畑中が最近はじめた独学キノコ教室に付きあったようなものだが、つい先日、小林から教わったブナハリダケが結構あったのでそれを教えて先輩の面目を保った。
以前からマイ・フェイバリット・ピークと書いているし今年の閑人忌記念登山はこの山とすることにした。
人のたれもいない静かな里山に舎弟のような若者とひっそりと登るのもまた阿部勉さんの追悼レクイエムには似合っているような気もする。
しかし個人的な閑人忌はそろそろ終わりとしたい。
もう愚老もそちらの世に往きたいのである。

最近、山平重樹が野村秋介さんの評伝『激しき雪』を出したが、そこには「最後の国士」とあった。
やはり山平が以前に書いた阿部さんの評伝は『最後の浪人・阿部勉伝』である。
国士でも浪人でもいい。ただ親しかった人の欠落した空虚がさみしいだけである。
阿部さんの動画は広域指定116号(赤報隊事件)に関したものがユーチューブ(https://youtu.be/UNJ4pSjGxLg)に載っている。
老人は泣くだけだからめったに見ない。
その着流し、秋田角館訛りの謦咳はついきのう別れたひとのようにどこまでも親しい。
亡くなった立松和平さんの「晩年」にも阿部さんを書いた「浪人」という晩年の短編がある。
多少の事実誤認はあるが人物の雰囲気はよくでている。

茂来山から立原高原でキノコを探したあと畑中に灯明の湯をおごってもらった。
湯音32度の源泉露天風呂はこの時期には震えるようだったが内湯にのんびりと浸かってかって兄貴だった人物の俤を回想した。
いつまでも尽きることのない回想であった。

平川克己『喪失の戦後史』
坪内祐三『文庫本宝船』
どちらもいろいろな本を読みたくなるようなおもしろい本だった。
 2016/10/12


今年もはやいものでもう閑人忌(11日)となった。
あれから17年もたつ。
恒例の記念登山は天候が悪いので数日ずらすことにした。
夜ひとり寂しく飲んでいると「そんなことだろうと思った」と宮本雅史から電話があった。
山平重樹と一緒に孝人も連れだって浅草の青木さんのバーにいるという。
野村さんの群青忌もそうだが、こんなときには都落ちがかなしくなる。

病が順調に進行している。
野遊びができるのも残りわずか(たぶん今年が最期)となったので数少ない友人が訪ねて来てくれる。
戯れにいうなら今生の別れというやつである。
親しい友の大半はもうあの世に行っているから我が生は少し長すぎたのである。
今回は小林が最後の山遊びにやってきた。
初日は近代産業遺構を見学したいというので須坂の米子硫黄鉱山跡地に行った。
ここは懐かしい。
すぐ目の前に四阿山の外輪絶壁がそそり立ち二本の滝が落ちている。米子大瀑布という。
紅葉の時期には楓の赤が多いので写真客も来るが今年はまだ色づきははじまっていない。
麓には由緒ある米子不動尊がある。
ここの宿坊には立派な風呂もあるがもう信者が登ってくることもまれだろう。
たしか近くに木喰聖人が修行したという岩穴があったはずである。
鉱山跡地はただの草っ原である。
かって坑道の掘られた山腹には精錬所に住宅、文教所、共同浴場、映画館まであって1500人が暮らしたという。
牛馬で嬬恋村から沼田に運ばれた硫黄はのちに須坂駅まで長い索道をつかって運ばれた。
それは大東亜戦争の爆薬となった。
以前に青年期までここで生活したという古老のはなしを聞いたことがある。
それは小さくともたいそう悲惨な身分社会だった。
鉱夫は最下層だったという。
昭和35年閉山とあるから老人にしてみればついこの間のことである。
それから13年でこの国から身分制(階級社会)はなくなったはずだったのに今また悲惨な身分制が復活している。
それで思いだすのが長崎の軍艦島や田川の炭住である。
打ち棄てられた産業遺構というのは何故かかなしい。

翌日は素晴らしい青空の秋晴れという絶好の秋山日和となった。
168妙高山(2454米)は2回目。北信五岳ではいちばんキツい山である。
6時好きに燕温泉の登山口を出発して約4時間の登りは北地獄谷の湯道(赤倉温泉源泉)を行く。
胸突八丁から天狗堂までが長い。
前回同様、最後の岩場でバテた。
それでも滅多に望めない素晴らしい眺望である。
日本海のうえから眺めていくと雲海の浮かぶのはまず越後三山、手前に苗場山の高層台地、日光白根、浅間連山と八ヶ岳の間に芙蓉。
その奥に南アルプス。右に木曽駒、御岳、北アルプス。
鹿島槍、五竜、白馬三山は指呼の距離、手前の眼前には戸隠・高妻。
尾根をたどれば火打。隣にちいさな噴煙の上がる焼山。
その絶景には小林と眼福を語りあった。
山頂での陽光を浴びて風を避けての珈琲は旨かった。
下りはとても登れそうにない急坂を一気に降りて高層湿原長助池に出る。
そこからがだらだらと長い。
小林はナラタケとブナハリダケを採集して土産を確保している。
それだけは真似できない。
8時間近く歩いてヘロヘロとなった。
池の平で泥湯に浸かって汗を流した。
素晴らしい山歩きとなった。

最近の本読み。
ジョン・ハート『終わりなき道』 佳作。この作家はハズレなし。
加藤陽子『戦争まで』 評判ほどは面白くなかった。
マイケル・コナリー『転落の町』 久々のボッシュもの。やはりいいなあ。
ミステリーは読みはじめると面白い。
貧乏になると当然、文化資本も貧相になる。
本読みはすべて図書館を利用している。
新刊もリクエストすればだいたい蔵書に入るからありがたい。
それでも老い先短い老人である。
ノスタル爺でもある。
それで思っているのは昔好きだったシリーズの読み返しである。
マルティン・ベックや名無しのオプやヘイスティングス警部……。
要は最晩年の作法のようなものか。

畑中にチケットを貰ったのでイーストウッドの「サリー」(ハドソン川の奇跡)を観てきた。
トム・ハンクスとのコンビはまさに円熟の味わい。
その夜にテレビで「キャプテン・フィリップス」を見たので余計そう思う。
予告編でル・カレの映画化を知った。これも読んだ小説だから観たいがカネがない。
ついでに言うなら『カルテル』の映画化はオリバー・ストーンでなくタランティーノで見たい。
やはり偶には映画でも見ないと「清潔で文化的な暮らし」(25条)や「生活の質」は確保されないのかもしれない。
そういえばまた多摩の菅野さん(ネットの読者。未知の人)から大量の酒が送られてきた。
ドクターストップで断酒の由。
同情とお礼を申し上げます。
 2016/09/30


おかしな長月だった。
月はじめから列島を縦断するような秋雨前線など聞いたことがなかった。
遊びに行けない日々がつづいて気鬱である。
結局、今月は4回しか山遊びに出かけられなかった。
甲武信岳のあとは164荒船山艫岩、165蓼科山、そして今日166浅間山の第一外輪を久しぶりに歩いてきた。
素晴らしい好天で眼下四方は雲海、アルプスはすべて見えた。
写真は例によってフェイスブックに載せてある。
ついでに記事も張り付けておく。
下流老人里山彷徨 166浅間山第一外輪周遊
主治医から山遊びも今年限りと宣告されたので貴重な晴れ間を久しぶりの浅間に遊んだ。8時気温8度の車坂峠からトーミの頭、草すべりを文字どおり滑り落ちてJバンドから鋸岳(2254米)に登り返し仙人岳(2319米)蛇骨岳(2366米)黒斑山(2414米)と旧火口の外輪を歩く。このところ頓に体力が減退して途中でバテたので6時間半もかかってしまった。勿論、山でもメシ抜きの欠食老人だからシャリバテか。長月らしからぬ素晴らしい眺望。眼下に四方の雲海、北アルプスも午後まですべて見える。めずらしい。はじめて目視した剣岳、尾瀬の燧ケ岳、至仏山。東日本最高峰日光白根。八ヶ岳中山峠の奥に甲斐駒、千丈。生きているうちにここだけは行きたかった無念の山。芙蓉の前には奥秩父の金峰、国師の峰。紅葉には早かったが秋の空は堪能した。

買ってから勿体なくて半年も寝かせておいたドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』をとうとう読んでしまった。
大傑作『犬の力』の続編。
まさに怒涛の1200頁。
もちろん東江さんを思いだす。
メキシコ麻薬戦争。
アンサー・イズ・レガリゼーション。
今のところ今年のベスト。

前回、宣伝広告を打ったがまったく効果がなかったので再度掲載する。
【広告】
たれか食い物を分けてくれ!
以上。
 2016/09/15


田園でははやくも稲刈りがはじまった。
今年は「致し方なかりしことよ」の秋雨前線の発生が矢鱈とはやい。
初秋の田舎は空が乾かない。あの風が吹かない。
低気圧のせいで膝痛、腰痛が悲惨。軀が悲鳴をあげている。
老化とは辛いものである。
白露と秋分の間は山遊びの絶好の季節だがどこにもいけずにいる。
軀は無理がきくしレインウェアも持っているが交通費(ガソリン代)がなくなった。
仕方なく蟄居してワン公相手に独語しては午睡に現を抜かしている。
次の老齢年金が出たらどこかへ行こう。それまでは無銭生活に耐える。
パソコンも不調でイラつくからめったに開かなくなった。

随分と以前の山歩きの記録のみ記しておく。
畑中夫妻が赤岳に登りたいというので清里のスキー場まで行ったが霧雨と暗雲に恐れをなして青空の出ていた川上村に歩を転じ163甲武信岳(2475米)に登った。
千曲川源流までこれほど水量の多いことは過去になかった。
源流もその上から流れ込む小川の中にあって最初の一滴が定かではない。
尾根に出ればガスと寒風。眺望皆無。
それでも久しぶりの畑中との山歩きは愉しかった。
甲斐、武州、信州の三方(三宝)という山が隣にあり、やはり近くの国師はこれが訛ったものと深田久弥にある。
千曲川、荒川、笛吹川の源流を懐に抱く奥秩父のへそだといわれれば納得する。
帰りに南牧村の踏切脇「ストローハット」で麦酒を馳走になる。旨かった。
同い年だという店主と雑談。
「やっぱりこの名前は西條八十の『かあさん、僕のあの帽子』かい?」
「分かりましたか」
団塊世代は単純だからそれぐらいは解ってしまう。なんだか恥ずかしい。
それで思い出したのが映画で主題歌を歌ったジョー山中さんのことだった。
湾岸戦争の直後に先輩に連れられてバクダットへ行ったことがある。ジョーさんとはづっと同室で気が合った。イスラム教の国でもよく飲んだ。
少し年上だったが何年か前に亡くなった。
その旅で一緒だった藤岡某という仮面ライダーはもういい年なのにまだテレビに出ている。

本読み。
北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』。爆笑もの。
佐藤松男編『福田恆存の言葉』。たまにはこんなものも読む。どこか懐かしい。
児玉博『堤誠二 罪と業』。今年の大宅賞(雑誌部門)作品。佳作。辻井喬もまたコムプレックスの人だった。児玉とはあの知っている児玉だろうか。
ベン・サンダース『アメリカン・ブラッド』。これが面白かった。久々の当たりだった。
渡辺京二『父母の記』。遺書のようなしずかな傑作。
加藤典洋『日の沈む国から』。ゴジラ論の進化(深化)がおもしろい。

【広告(実はこのためのブログ更新)
何でもいいから食い物(米以外)を求む。
送り先はHP表紙にある。
同情に期待する。   
亭主敬白。
 2016/09/01


「貧困の子」をめぐる騒動には馬鹿々々しさに呆れて何も言う気がしない。
それでもリクエストがあったので再燃している生活保護バッシングに一言だけ記しておく。
ナショナルミニマムの暮らしや「ナマポ老人のリアル」に関する世間の認識不足には悲しいものを感じている。
だから「生活保護で老後を楽しく」や「そうだ、ナマポしよう!」と刺激的なキャッチフレーズで反貧困活動なども行っている。
生活保護利用者のリアルがあまりにも知られていないからである。

カネがないのは昔からのことで慣れているから屁とも思わない。
貧乏は自慢するぐらいだから嫌いではない。
敗残趣味、落剝趣味なんて世間からは不可解な性格の老人だがそんな人間もいる。
ただ貧乏臭いことはあまり好きではない。
生活保護バッシングにみる馬鹿々々しいヒステリーはその貧乏臭さに似ている。
長寿という思わぬ穽陥に対する国家の保険である基礎年金は制度が破綻している。
一次産業や自営業、非正規で生きてきて金融資産がない場合、賃貸アパートに暮らしながら月に6万5千円で暮らすのはなかなかに工夫を必要とする。
多分、都会では困難だろう。
国民年金が20歳から60歳までの全国民に義務づけられている「税」である以上、保険金を全額納めたとしても老後それだけでは食えないというのは明らかな制度設計のミスである。
リタイアするまでに預貯金などの資産を蓄えておけという人もいる。
それができる人間もいればできない人もいる。
障碍者などを別にしても、例えば愚老は中卒で学歴もなければ世間に通用するスキル職能など何も持っていない無能の人である。
そんな人間が資産など蓄えられるわけもない。そんな甘い世の中ではない。
それなら死ぬまで働けという意見もあるだろう。
それには「嫌だよ」と笑って答えるしかない。
実はこの秋から食えなくなると思ってフェイスブックなどでさかんに食糧支援の広告を打っているのにはわけがある。
もう金輪際、勤労はやめたのである。
還暦を過ぎてから廃品回収、養老院の夜警、掃除夫、ゴミの分別などの仕事をやってきた。
去年はずっと便所掃除をしていた。
汲み取りの公衆便所のクソをブラシでこすっていると何故かかなしくなった。
まあそんなことがあって漸く前期高齢者になったのを機に勤労はやめることにした。
もう楽しいことしかしないと決めた。
だっていくら愚かでも奴隷の人生ではないのだから。
いつまでも苦役列車に乗っているつもりはない。
そうなればただ国の社会保障制度という再分配政策を利用すればいいだけの話である。
受給する年金とナショナルミニマムとの差額3〜4万円を生活網で保障されるのである。
そのために勤労も納税もしてきた日本人のひとりなのである。
そういう当たり前の話が通じにくくなっている。
なぜか。生活が苦しい人々が、より下位にある貧困な人々に対するルサンチマン。歪である。
80年代以降のグローバリズムという経済がそういう国民を大量に生みだしたのである。
結句、世間は非寛容となった。ひとは弱い者には残酷になれる。

愚老は残りの寿命もあとわずかである。
持病の慢性腎炎も人工透析が目前に迫っている。
生活保護を利用すると医療は現物支給となる。これは助かる。
確か保護費の半分は医療費が占めている。
病院がタダだから羨ましい、などというバカがいる。
どこに病気になって喜ぶ人間がいるのか。本末転倒も甚だしい。
30年前には考えられなかったことだが、いまや貧困はほぼ固定化するのである。
階層移動は困難となった。老人の場合はまず脱出不可能である。
同時に家族がいれば貧困は連鎖し再生産される。
愚老は貧困層というレイヤーで長く暮らしてきたから血縁も悲惨である。
兄弟は病死したり餓死したり悲惨な死に方をした。
よくは知らないが子供の労働環境も恐らく悲惨であろう。
子供は3人いるが大学校へいった子はもちろんいない。貧乏だから当然である。
子供たちが幼児のころから家には帰らない火宅の人だったから扶養の実績もない。
そのうち母親と離婚したから親権を放棄し戸籍上も縁も切れた。
子を捨てたのである。
その子供たちのところへ市の福祉課から毎年扶養援助の通知がいく。
いまの政権で家族主義が復活していろいろとうるさくなった。
そんな縁のない生物学上の父親でも生活保護を利用すればそういうことになる。
それが発覚すれば子どもの婚姻の障壁ともなる。
相手の家族の反対にあって結婚できない。そういう価値観の持ち主ならば仕方がない。
どこまでも不憫である。
(このブログを匿名にしたのにはそういう訳がある)

この辺りがナマポ老人のリアルである。
少なくとも愚老にはどうだ羨ましいだろう、とは言えない。
言う人間がいればばいくらでも聞いてやる。

さて例によって本題は山遊びの記録である。
昨日は葉月最後の山行で162北横岳(2480米)〜蓼科山(2530米)という2山踏破というはじめてのコースに遊んだ。
台風一過で好天の予報だったが7時に大河原峠に上がってみると薄いガスが巻いた峠は凄まじい強風。恐いような風音。気温6度、体感0度のクソ寒さ。パーカーをはおってもまだ寒い。
天祥寺原に下りる緩い登山道がまったくの川となっている。
急坂では音を立てて流れ下る沢だ。
台風の雨はそれほど降ったようだ。
歩道脇のクマザサを踏んで水没しないようにゆるりと歩を進める。
(例によって記録写真はフェイスブックに載せておく)
5日前に来たときは殆ど干上がっていた亀甲池も満々と水をたたえ朝日に照っている。
青苔の森の急登でも寒さで汗も出ない。手袋の指がかじかんで痛い。
北横山頂は無人。ただ風が鳴るばかり。
ここまでの行程2時間20分。随分と遅いのは「沢下り」が長かったから。
目の前に標高が丁度50メートル高い蓼科山が聳えている。
来た道をゆっくりと下る。亀甲池を過ぎた平地で陽が温まり気温も上がってパーカーを脱いだ。
天祥寺原から先、将軍平へ登る沢路ははじめてである。
その分岐点。膝ほどの深さの淵で浮石にバランスを崩して仰向けに水に落ちた。
冷たい水に尻から背中まで浸かった。運よく足は水没しなかった。
今まで初めてのことで一瞬パニクった。まあ10月頃だったら低体温症の危機だったろう。これを年寄りの何とかという。
大河原に引き返すことも考えたが林間は風もなく陽が射しているので慎重に登っていった。
そこから1時間20分ほどかけて将軍平へ着いたのはもう12時過ぎである。
山頂へも45分を要した。今日の山歩きはずっとスローペースを心掛けた。
確かにまだ初心者に近い老人にはハードなコースである。
山頂からは南八ヶ岳の連峰も青空に美しく映えていた。
風もおさまって空には初秋の雲が流れている。
大河原峠に下山したのは3時。ちょうど8時間の行程であった。
峠のカフェ「アダモ」に寄ると畑中に「あまり遅いので遭難したかと思いましたよ」と言われた。
年寄りにしてはよくがんばった一日だった。
夜、右足のハムストリングスの内側が攣ったようになってひどく痛んだ。
山遊びの日々もそう多くは残されていない。

そう言えば先日の「玉音放送」のお言葉についてよく聞かれる。
今上が宮中祭祀と行幸(行幸啓)いう「私的行為」にいちばんの重きをなしているという発言には感銘を受けた。
「国民の安寧を祈る」ことこそ象徴天皇制であるという今上の確信に対してである。
いまの政権に顕著な「政治利用」を逃れる道はそこにしかないのではないか。
国民はその「ご意向」をしっかりと受け止めねばならない。
そういう國體を支持している。
 2016/08/30


ひと月ほど間が開いた。
身体の不調が酷く冴えない日々がつづいている。
膝と腰の痛みが尋常でない。
朝、起床時には殆ど錆びついた機械のような関節痛でまともに歩くことも儘ならない。
それに起立性低血圧の症状も最悪である。
しょっちゅう電信柱につかまって眩暈に耐えている。
こんな具合だから余命もまあ一年ぐらいだろう。
本人には充分に長生きしたという感慨がある。
処暑も過ぎてすぐに白露になる。
あとは寒さがつのるだけと思うと憂鬱な初秋である。
しみじみ悲惨な老人である。

そんな訳であまり遊びが活発化しない。
せっかく生活保護を利用しているのに勿体ない。
多分ケースワーカーの指導があるだろう。
「生活保護で老後を楽しく」が実践されないと無用の人には生存価値がなくなる。
やはり来年も生きていたら叱られるだろう。

山遊びの記録。
8月16日 158茂来山(1717米) 
8月20日 159燕岳(2763米) 浅野君に連れて行って貰った。初めての飛騨山脈と思っていたがむかし白馬の途中まで登ったことを思いだした。
8月26日 160北横岳(2480米) 大河原峠から亀甲池に下りそこから登った。難路の北横尾根を歩いて大岳へ。そこから岩場を超して双子池、双子山経由の周遊。6時間ほど歩いた。
不随な身体ではこれがやっとである。
どちらもフェイスブックに写真だけ載せてある。
そのFBのアルバムもこのパソコンも身体同様調子が良くない。
ブログの更新が完全停止したらパソコンが壊れたか老人が死んだかである。
そう言えば今日、そちらに食料支援の広告を出しておいたから気にしていただきたい。

本読みの記録。 
河上肇『貧乏物語』(佐藤優訳・解説)。まあ佐久窮民党の基本文献のひとつ。
青木理『日本会議の正体』。青木も今度の「アベ本」は送ってほしい。
山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』。
関川夏央『人間晩年図巻』上・下。久々に味わい深いに本読みの愉しみ。風太郎先生の衣鉢を継いだ傑作。
白井聡・内田樹『属国民主主義論』。まあいつもの。
西村賢太『蠕動で渉れ、汚泥の川を』。『根津権現裏』へのオマージュを果たした寛太シリーズの代表作、になったと思う。
中村文則『私の消滅』。相変わらず好調。
奥山俊宏『秘密解除 ロッキード事件』。調査報道の今年の収穫は「パナマ文書」だがその当事者によるもうひとつの収穫。角栄が「虎の尾を踏んだ」のではないことを米公文書から明らかにする。そうなると殆どの日本人が信憑してきたあの「謀略説」は何だったのか。空気を読み間違った属国民の悲しい性か。確かに思いだしてみると角栄逮捕は何といっても「三木だったから」と椎名裁定に突き当たるのだが。
奥山からは本を送って貰い、嫁さんからデジカメや食糧の支援物資も届いた。感謝。
サンドリーヌ・コレット『ささやかな手記』。時間のムダ。
小熊英二『私たちはどこへ行こうとしているのか』。いつもの。
水野和夫・大澤真幸『資本手記という謎』。
佐野眞一『唐牛伝』。出るべくして出た本。阿部さんの最後の旅は函館の唐牛忌だった。牧田も唐牛さんのためなら死ねると言っていた。芹沢さんの死も知る。
水野和夫『国貧論』。ファンだから読む。
(写真は燕岳山頂直前のイルカ岩。©浅野利幸)
 2016/08/10


久しぶりに小林が訪ねてきたのでふたりで八ヶ岳のいちばん南の山158編笠山(2524米)を歩いた。
そういえば小林と歩いた最後は昨秋の権現岳だったからひとつ隣の山になる。
富士見高原のスキー場登山口からゆっくりと登った。針葉樹の林間は北八ツの黒い森に似て青苔の緑が美しく、しかしフラットで歩きやすい登山道である。急登はほとんどない。
山頂直下でハイマツの森林限界になりそこから岩塊の堆積したピークへの登攀となるがこれが意外に距離があって足元の覚束ない老人には草臥れた。
山頂からは眼前にどんと権現、赤岳、阿弥陀の切り立ったピークがある。
南に目を転じると千丈、甲斐駒の南アルプスの峰々が聳える。途中まで見えていた富士は雲に隠れた。そして北に遠く蓼科山。この連峰は南北に長い。
それにしても八ヶ岳北端の蓼科山と遠目にはそっくりの山容である。編み笠もお供え餅も丸い頭に変わりがない。
愚老の倍の15キロを背負い冬の重い登山靴で歩く小林に最後は置いて行かれた。
それでもコースタイム4時間10分をほぼ3時間ほどだった。老人の割にはがんばった。
青年小屋のある乙女平への下りはやはり岩塊の急坂。膝が笑っているから下るのが恐ろしい。
「遠い飲み屋」青年小屋で缶麦酒を一口。尤もその先の湧水・乙女の水の方が美味かった。
因みにちょっと自信のあった花の名前もキャリア半世紀の小林には歯が立たなかった。だからリスペクトして教わった。
シナノオトギリ、アキノキリンソウ、キオン、トウヤクリンドウ、ミヤマダイコンソウ、イブキジャコウソウ、ヤマハハコ、ヒメシャジン、コオニユリなどを見かけた。
期待していた弘瀬に貰った高級デジカメ(画素数が前機の倍以上)は今までの機材より数等よくなったが花の接写はピンがボケていた。どうやら手ブレである。まずは加齢からくる手の震えを止めなくてはならない。それでも小型軽量で扱い易い。ありがとう弘瀬。
小一時間で西岳(2398米)。編笠より100米以上低いから上り返しも楽である。
そこから2時間ほどで下山したが小林は得意の茸を採集していった。下界の気温は高くとももう晩夏である。
久しぶりに鹿の湯で汗を流し、出てきたところで玉音放送を聞く。
アパートに戻ると八ヶ岳の空が逝く夏の色に美しく染まった。
 2016/08/07


年寄りだから当たり前だが最近とくに世間の不可解さに途惑うようになった。
この国の社会の変化が分からない。空気が読めない。
世界の成り立ちがより複雑混沌としてくる一方でおのれの不明を愧じている。
多分こうなるだろうという予測が悉く外れるようになってきた。
たまたま当たったのは参院選、都知事選、芥川賞ぐらいである。
近々のことで予想しているのはこの夏、稲田の靖国参拝はないだろうということぐらいである。
あんまり面白くはないが率直な直感が現実とズレてくるのが加齢でもある。
だから老人はバカバカしい世の中を慨嘆してぶつぶつ呟くのみである。

こんな時代にいつまでも経済成長なんていう幻想を信憑するものの気が知れない。
こんな時代なのに現状肯定派がマジョリティという国民の気が知れない。
準戦時下の危機感など団塊以上の「なんリベ」世代(曲がりなりにも「政治の季節」というイニシェーションを体験した)にしか共有されていないようである。。
まるで三里塚のような高江は新聞記事にもならない。
それにしても返還以降「民意」どころかここまで露骨なコロニアリズムも見たことがない。
政権と草の根保守(日本会議など)の「天皇制国体」軽視が目に余って腹立たしい。
それでも世間には何事もなかったかのような怠惰な時間だけが流れている。
ただただ悲惨な世の中になってしまったことを嘆いている。

あれほど話題になったピケティの白熱授業を語るものもすっかり居なくなった。
世間の格差も自己責任論で覆い隠されていく。
誰かが言っていたが例え本が100万部売れようともそれは国民の1%に過ぎない。
戦争も遠くなった。
震災と原発事故という新たな「敗戦」を経ることで「永続敗戦レジーム」はより強固に定着した。
昨日はヒロシマ原爆記念日で明日の午後3時には玉音放送がある、というのに。

さて随分と間が開いて殆ど記憶も失ったが八海山の翌日には155二王子岳(1420米)に遊んだ。越後のやはり二百名山である。
この時期の道の駅は車中泊で貧乏旅をする老人たちが多い。
ふとバブルの時代を思いだすと貧しい老人たちの国になったのだと妙な感慨がわく。
やはり山岳信仰の御山である。登山口の二王子神社は立派な社殿であった。
清冽な疎水の流れるよく整備された登山道を行く。
さすがに山深い飯豊連峰の西端にあたる山塊である。山を登るというよりは山奥に踏み入っていくという感覚が強い。
3時間10分ほどで山頂。連日の登山で疲労が足にきている。
雲に隠れていなければ大日、薬師という飯豊連峰の名峰が眼前にひろがっているはずである。
下越の日本海に近い標高の低い山だから暑さが難敵だった。
下山は子どもと同じ年配の、老人からみればお嬢さんのような婦人と山話をしながらゆっくりと下りた。
それから温泉によって汗を流し、夕から半世紀前の同級生に招待された月岡温泉でたらふく飲み食いをして愉しいときを過ごした。
 2016/08/05


短い夏も終わってもう立秋だという。
不調の原因は過行く朱夏へのセンチメントだったらしい。
老人は退行して少年に到るから怪しむに足らない。
このところ午後になると雷鳴が聞こえるので今朝は早くに出立してまた157蓼科山(2530米)を歩いてきた。
今期5回目。行程3時間だが最初の急登で岩が滑り下りが恐る恐るだった。
久しぶりの山歩きで早々に汗が噴き出したが拭いもせずに登った。
最近読んだ西村賢太風に言うなら「頻脈で登れ、汚泥の生を」といった気分だった。
大河原峠ではじめてカフェ「アダモ」のカウンターに座った。
畑中には先週散々馳走になったばかりだが、この店は酒場としてもいい雰囲気である。
いちど満天の星を眺めて狐狸を相手にゆっくりと飲ってみたい。
 2016/08/04


心身不調につき暫く更新を停止します。
(恐らく次の老齢年金支給日あたりまで)
先月の月岡温泉旅行の写真のみ載せておく。
杉本はじめ小林、豊島、田中に世話になった。
 2016/07/26


貧困生活も10年を過ぎて年季が入ってくると広告宣伝にも長けてくる。
その窮状がときに金持ちの耳に入ると思わぬ利福が舞い込んできたりもする。
今回は半世紀前の同級生から温泉旅行に招待された。
ありがたいことである。
無銭生活は往々にして日本国憲法の「清潔で文化的な」クオリティ・オブ・ライフを損なうからこういう機会は逃すわけにはいかない。
越後の温泉行のついでに山遊びを絡めて今季最初の夏休みにすることにした。
少年期からなぜか夏休みが好きである。
老人になったいまもこの時期に3、4回は夏休みを取ることにしている。
なんだ夏中ぢゃねえか、と言われればそのとおりである。
勤労機会に恵まれない無能の人には代わりに時間だけはたっぷりある。
久しぶりに死出の旅を気取って車中泊のちいさな旅に出かけた。

同棲しているワン公を施設に預けてふらりと町を出た。
北上して須坂の版画美術館で久しぶりに畦地梅太郎を観た。
青と白の抽象作品ははじめて見たがなかなかよかった。
下道をちんたら走り飯山から津南、十日町をぬけて夕刻に湯の谷村まで行った。
南魚沼の田園風景はむかしから好きである。
放浪の末にこういう景色のなかで野垂れ死んだらどれほど仕合わせだろうか。
小出の道の駅で車中泊。
翌朝、六日町の154八海山(大日岳・1720米)に登った。
酒も好きだがいちど来てみたかったかった二百名山である。
体力に自信がないので駐車場でロープウェーの始発(8時20分)を待って山頂駅(四合目・1147米)から歩く。
標高差700メートルの上りを往復1700円の乗り物で省エネした。
貧乏人らしからぬ贅沢である。反省する。
信仰のお山である。修験のお山である。
晴れてはいるが雲も多く越後三山の残り二山、越後駒ケ岳、中の岳の姿は見えない。
霊峰たる所以の山頂岩峰群・八ツ峰もまたガスに隠れたままである。
八合目薬師岳、九合目千本檜小屋までは緩いアップダウンの穏やかな尾根歩きである。
それでも豪雪地帯だから谷筋にはいくつもの雪渓が残っている。
そこから山の表情が一変した。
どうやって登るのか見当もつかない巨岩のピークが連続する。
上級者コースと出ている。とてもではないが初心者の老人には登攀不可能である。
小林からも「あそこは恐いぜ」と散々脅かされていた。
そこで老人向けの巻き道の迂回路を行った。
これが迂回路などという牧歌的な道ではなくハシゴ、クサリ場、横クサリの難物であった。
それでも五峰をカットして残りの三峰だけに取ついた。
滑落死の多い岩場である。
垂直のハシゴに50度近いほぼ垂直に感じるクサリ場を下を見ずに上がっていく。
次第に握力も落ちてくる。
そうなると死への甘美な誘惑がたまらない。
どんな里山だろうと山遊びの醍醐味のひとつは間違いなく死との近接である。
11時。行程2時間30分で大日岳ピークに立つ。
無人無音。濃いガスでいま登ってきた隣の岩峰さえ霞んでいる。
下りも年寄りには恐ろしい山だった。
迂回路で花の写真を撮っていて道から落ちた。
150糎ほど落下して灌木に足裏が引っかかって何とか止まった。
登山道の雑草を握りしめて何とか必死で這い上がった。
藁だってあれば掴んでいただろう。いま思いだしても空恐ろしい。
そんなことがあってなかなか印象的な山遊びとなった。
入広瀬村の温泉で汗を流し栃尾、三条、五泉の田園牧歌のなかを走った。
新発田加治川の道の駅でちょっと感傷的な夕焼け。
カネのかからない車中泊。
(写真はフェイスブックに載せておく)


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