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 2012/01/16


 はやいもので睦まじき月も半ばを過ぎた。ようやく酒肴の節料理が底をつきのんべんだらりとした正月も終わったらしい。
 年末以来の「柴又物語」も昭和五十年代に入るとリアリティが希薄になって少々興醒めの感があり慊くなってきた。あの頃から高度成長の物語(明るい昭和)が終わり分厚くも薄っぺらな中流中間層の時代がはじまったらしい。
 寒冷ではあるが好天がつづいていたのでほとんど日課のごとく町はずれの里山ゲレンデや小一時間範囲の人口雪山に足を運んでいた。なぜか今年は無料招待券や五百円券の類がどこからか集まってくるからである。畳の水練のようなものだが定期的な外出はジョブ・ラーニングと聞かされて律儀に出かけて行くのである。
 どこに出しても恥ずかしい履歴書も使い道のないまま溜まっている。今週はまた職安訪問があるので体調管理(主に神経痛緩和)に新聞の健康記事をクリッピングしたりして床に転がって実践したりもする。もちろん効果などは期待もしていない。
 昔の民宿客からスキー行の問い合わせなどもあったが、さすがに「福祉の人」と聞くとその気も失せるらしくいまだ訪問者はない。相変わらずの無能の人は最小限の資源を浪費しながらその日暮らしの刹那に生きるのみである。
 大きな物語に興味を失ったので時事的な戯言を書く気はなくなった。災害ユートピアの賞味期限は十月ほどで切れたのだろう。
 この国は維新、敗戦以来のパラダイムチェンジに失敗して金融経済のみのさみしい国柄に落ちつこうとしている。維新(革命)幻想のときは過ぎ去った。
 震災前とは意匠を異にしても、また災後の日常もまた終わりなきものに近づいているのかも知れない。そんなわけでブログの更新は気まぐれになる。
 時代に取り残されていく実感は貴重である。その行きつくどん底にローズハウス林荘がある。
 中村文則『王国』は『掏摸』の姉妹編だが初出の衝撃はない。小粒な青豆(1Q84)みたいでやはり慊い。まだ途中だが國分功一郎『暇と退屈の倫理学』が炬燵読書でおろしろい。
 2012/01/10


 何ら変わりばえのしない平々凡々の日々がつづいている。冴えないことは相変わらずである。正月が終わったのか、まだつづいているのかもはっきりしない惚けのなかにある。
 とくに書くこともないのでパソコンも開かずにいたら時間だけは過ぎていたらしい。
 例によって記憶は朧気だが新年になって温泉通いが習い性になったような気がする。ひとつ馬齢を重ねてまた老人らしくなった。浅科温泉が露天風呂の工事中で300円で入れるのでそこばかり行っている。
 ほとんど休みなく午前中は町はずれのゲレンデで一時間ばかり運動をしてくる。年末の寒波以来、小寒までの寒冷で上州県境の里山も降雪とかで山歩きが中断を余儀なくされている。その代用で里山ゲレンデに行く。狭く短いコースにだけ人工降雪した何の面白みのないゲレンデだが人がいないので(平日は10人ぐらい)のんびりはできる。
 午後からはデイケア施設で腰痛緩和体操に勤しむことは一昨年来、何の進歩もない。施設に行けば温泉には行かないので、こちらは少しサボり気味かも知れない。
 職安の就労活動は月に三回にした。今日が今年最初であった。相変わらず女子供の仕事だと断られるばかりである。面接は高望みでも履歴書送付まで漕ぎつけるのが今年の目標である。日常をルーチンで定式化していくのがジョブトレーニングになるとは精神科医から聞いた。とくに運動をはさむのがよいらしい。
 血行障害という冬期の支障が悲惨なので妙な漢方薬を贖った。人から聞いて下し生姜をたっぷり入れた紅茶を何杯も飲んでいる。もちろん効き目など一向にない。
 夜は「フーテンの寅」を観ながら膾と松前漬けで軽く飲っている。昭和四十年代までの京成電車はなかなかよい。
 この間に読んだ本。ウィリアム・K・クルーガー『希望の記憶』。新井えり『昭和、家族の見識』。中野剛志・柴山佳太『グローバル恐慌の真相』。どれもそれなりに面白かった。
 まあ冬眠の最中としか言いようのないおだやかな日々ではある。
 2012/01/04


 また酩酊ブラックアウトの一夜があったので時間軸と記憶が混乱して身体も脳内もカオスのただなかにある。年は改まっても暮らしのスタイルは変わらない。どうであれ習慣はとりあえず堅守するというのがここ三十年来の個人的ローカリズムの思想である。
 三日の日は今年初めての掃除と洗濯をしてから昼頃にゲレンデに行って山中の富士浅間社に参拝した。夕刻から残っている節料理を並べてホームレスの大工とさみしい新年会の酒席となった。テーマは自給自足経済だったような気がするが途中から記憶は喪失しているので、ただ呑んだくれただけのようである。
 悲惨な宿酔の昨日は終日雪の暗い一日となった。デイケア施設が開いたので腰痛体操に行く。一週間の正月休みの間に二キロも体重が増えていた。貧困者が肥満ではいけないと反省する。
 正月の新聞はなかなか豪華で昨日は「マルチチュード」のアントニオ・ネグリのインタヴューが載っていた。ネグりも代議制や三権分立など十八世紀に生まれた民主主義は機能不全に陥り腐ったように見えると言っている。
 グローバルな市場(金融)の暴走に国家が追いつけない。世界の混乱は金融経済に絡めとられて収拾がつかなくなっている。
 老人はナイーブだから実体経済の何十倍というバーチャルな金融経済などは信じていない。そんな仮想ごとに振り回されずに足元の国民経済を地道に見つめなおせばいい。その結果は先進国の経済の縮小しかない。
「1ドル50円」も世界最大の債権国ならば当然と受け入れて、成長しないで持続する経済のモデルと、グローバリズムに背中を向けた伝統的国体(国柄)に拠った新しい国家統治のシステムを創出するしかないのではないか。
 福祉は施恵ではなく権利である、というソウル市長の言葉を何かで読んだ。オキュパイウォール街の99%もスペインの怒れる者たちも脱原発デモもすべては行きづまった民主主義に端を発している。高度な文明は崩壊を重ねることで人類の歴史はあった。未来はいまよりもよくなる、という思考の限界はこの国の格差をみればはっきりとしている。進歩史観の敗北は震災で明らかとなった。やはり下山の思想に救われる気になるしかないのではないか。
 つましい借家に住み小商いのような労働で完全雇用を目指すほかは、ちいさな国(大きな政府)での生きやすさは実現しないと思っている。
 2012/01/02


 飲酒に淫していたら消化器と脳髄に不調を生じてきたのでアルコールを抜く。午から悲惨な宿酔で寝たきり動けなくなった。躰を動かす嘔吐しそうになる。ぢっと横臥して耐えるほかない。
 夕方近くになって多少恢復したので鼻顔稲荷と大神宮に詣でて参拝した。小雪の舞うクソ寒い日である。灰色に染まる夕暮れの寂寥は喩えようもない。散々呑んだすえの後悔に悄然と立ちつくすのみである。バカは今年も治らないなあ、と呟くのはフーテンの寅の見すぎである。
 その足で猿久保温泉に行った。湯船で躰を温めてようやくひと心地ついた。近くにいくつも温泉のあることがありがたい。中央にばかり目を向けている行政は悲惨な田舎にも少しはよいところもあるのである。
 夜はおとなしくテレビを見ていた。ジョン・ダワーとガバン・マコーミックの対談がおもしろかった。「敗北を抱きしめて」と「属国」の知日派歴史家と政治社会学者はさすがによく見ているものである。震災後の政治不在の日本にいいようのない不安を表出しているのだろう。
 このカタストロフィーのあとでなぜ日本は変わらないのか。なぜ日本人は立ち上がらないのか。ダワーのいう歴史の転機に開いた「スペース」は日本のチャンスにほかならない。先進諸国で最初に経済成長主義からの脱出という新しいビジョンを示せ、というのはそのとおりである。簡単にいえばもうアメリカについて行くな。アメリカと手を切れ、と言っている。
 そのスペース、窓が開いているのは一年ぐらいしかない。実はもう窓は閉じられたと感じている。この圧倒的な絶望感はそう教えている。
 今朝の新聞では「文明崩壊」のジャレド・ダイアモンドのインタヴュー記事を読んだ。文明が崩壊する脅威は環境・人口問題である。それは自然破壊、漁業資源の枯渇、種の多様性喪失、土壌侵食、化石燃料の枯渇、水不足、光合成で得られるエネルギーの限界、化学物質汚染、外来種の被害、地球温暖化、人口増、一人当たり消費エネルギーの増加だという。この対策にひとつでも失敗すれば五十年以内に文明全体が崩壊の危機に陥る。そうだと思う。「慎重な楽観主義者」であるダイアモンドはその可能性を49%というが、愚老は世界恐慌が見えないかたちで進むいまは60%ぐらいに進んでいるとみている。だから人間滅亡的世界観に覚悟をもっている。
 何度も書くが震災後に露呈した政治の機能不全は議会制民主主義の限界でもあった。ダイアモンドもいうように「政治家の失敗は、彼らを選んだ私たち自身の失敗」であるからである。欧米の発明品であるデモクラシーというシスムは時を経れば必ずそうなる。結局、国民の不幸は当然ながら国民の責任なのである。民主主義とは最終的に「無責任」の体系にならざるを得ない。
 だから百年前の制限選挙ぐらいに歴史を退行してみてもいいのではないか、と愚老は私念する。実際、選挙権など二十数年前に御上に返上している。
 思えば自由も平等も平和もすべてウソッパチだったのではないか。科学技術の進歩とともに人間も進歩していくなどという虚妄をよく信憑したのがこの二百年だった。
 鎖国の江戸でも敗戦後の昭和でもいいから先祖返りは必要なのである。
 正月の宿酔明けだから妄想も果てしがなくなった。
 2012/01/01


 大つごもりといっても少しも気忙しくないただの週末である。昨夜の独酌が血中をめぐっているので軽い宿酔のいつもと変わらぬ土曜日である。
 好物の酒肴はたんまりとあるから午前から麦酒をチビチビ飲り、テレビで柴又の香具師物語をながめている。半世紀近く前に逢引きのコースだった江戸川の土手を懐かしんでいる。その相手も十人ぐらいはいたはずなのにいまは誰一人その顔の浮かぶことはない。記憶は消滅し過去は無に帰しているが、それでもあったはずのアドレッセンスを懐かしむのが老人である。ノスタルジーは表層の記憶などなくても喚起される。
 年末温泉は午過ぎに望月の布施温泉に行った。快晴無風のおだやかな日和である。露天でながく貧相な裸体をさらして鄙の里山の冬景色を眺めている。湯に浸かってうとうとする。仕合せな日常は途切れることがない。
 帰宅してまた寅さん三昧をつづける。いつの間にか夢現のあわいに漂っている。ぎくっと腰の激痛で目覚める。平成二十三年は腰痛悪化の年として記憶される、とバカなことをぼんやりと想う。
 八ヶ岳が残照のシルエットになる頃から節の酒肴を豪華にひろげて到来物の紹興酒をちびちびと呑みはじめた。記憶はそこで霧のかなたに消えている。「行く年来る年」を見たような気もするが、あれは何年も前のことだったのかも知れない。こうしてまた目出度くもない馬齢を重ねた。
 とまれ震災の年は暮れたが「3・11」が終わることはない。
 はっきりと議会制民主主義が崩壊したことは喜ばしい。自由平等や経済成長神話、グローバリズム、科学技術進歩思想も共倒れになったことは同慶の至りである。二百年スパンの歴史のうねりは欧米出自の進歩史観を粉砕して、百五十年の脱亜入欧もようやく終わりがはじまった。
 いまごろの復興院も移染の特措法も政治の機能不全にはもはや誰も驚かなくなった。メディアアが原発に触れなくなったことも怪しまない。吉本隆明と立花隆の原発推進論は特異な少数意見として聞いている。
 うれしいことに人間滅亡的世界観(深沢七郎)の時代である。人口爆発による食糧と資源の分捕り経済帝国主義もアメリカを残して終焉に向うだろう。年頭のの宿酔妄想はほとんど気違いと変わらない。
 元日もおだやかな暖かい日和である。午の年初風呂は浅科温泉穂乃香の湯に行った。体臭のほとんどはノネナールとアルコールの混淆する異臭であった。
 禊のあとは望月のちいさな神社に参った。悲惨な人生をとぼとぼ歩んでも豊葦原水穂国に棲んでいる。かんながらの道八百万神の信徒であり、草木国土悉皆成仏の思想はどうしようもなく血を流れている。反文明主義者を名乗るのは半分本気である。いのちの安寧にこしたことはないのである。
 書き漏らしていたが数日前に町場のホテルに送った履歴書が返送されてきた。就労活動は思わしくない。「稼ぎ」もそうだが「努め」から疎外されることは場と承認の喪失である。その労苦を還暦を過ぎて味わっている。
 昨日も後半の記憶が曖昧である。昔はこれほど酢蛸が歯の間に挟まらなかった、とかなしく思った。加齢は細部を侵して老化はすすむ。相変わらず渥美清の身体動作の天才に感心しながらテレビ酒のぐうたらで過ごす正月である。やはりテレビでハービー・ハンコックのガーシュウィンを見た気がする。中島みゆきの古いアルバムもかけていたか。まあ記憶などはすべて自己に関わる事柄だから少ない方が仕合せなのであろう。
 年末から妙にゴールデン街関連の思い出が想起されたが元日の新聞で内藤陳さんの訃報を知る。この人から「まずこれを読め」とヒギンズなどを渡された夜のことを昨日のことのように憶えている。もう四十年も昔になるがミステリーが好きになって人生の消閑がゆたかになった恩人であった。
 その昔、野村秋介さんに話を聞いたときのビデオが破損したので長男に修繕を依頼していたら電脳空間にも載せてくれたらしい。(動画はユーチューブで「閑人舎」を検索すると出てくる)。 ユーチューブでは一一六号(赤報隊)事件関連で阿部勉さんの端然とした姿かたちをときに見ることがある。いつでもその数分に泣ける。
 恥ずかしながらどんな老人にも若い時分があったのである。思えば野村さんを紹介してくれたのは牧田吉明だった。その縁で阿部勉さんの舎弟にさせてもらったのである。いまは三人とも冥界のひととなった。
 元日の賀状は今年も六通きた。ありがたいことである。
 若いころにいちばん世話になった川瀬浩邦さんは古希になったという。写真をながめて四十年前を懐古している。往時茫々の長い歳月を振り返るのは正月のさみしい愉しみである。

越年の出費 温泉800円 賽銭100円
ひと月記入した家計簿はこれで止める。総括すれば過剰な消費に唖然とするばかりである。身の丈に合わせて小さな家計に努めねばならない。
 2011/12/30


 気圧配置が緩んだといっても最高気温が三度までしか上がらない。少し風が吹くだけで身体が震えあがる。神経痛が悪化する。股引の二枚も重ねたいほどである。
 時間をかけて二冊の本をやっと読了する。内山節『里という思想』。震災まで無知にして上野村のローカリズムを知らなかったのはまことに迂闊であった。震災以降四、五冊読んだがとくに労働論が示唆に富んで刺激的であった。震災後に決定的に表面化した反グローバリズの先駆的な思考として有益であった。ときに読書は役に立つ。
 鶴見俊輔・関川夏央『日本人は何を捨ててきたのか』も、いかにも懐の深い雑談であった。なぜか今年は鶴見の軽い本を何冊も読んだ気がする。進歩的出版界はこの超人的な記憶力の哲学者からいまのうちに「戦後」を記録しておきたいという要請が強いのであろう。これも最良のインタヴュアーを得て面白い本になった。
 ゲレンデは混んでいそうなので自然体操は省略してテレビで「フーテンの寅」を何本も見た一日だった。炬燵に横臥してすっかりテレビ老人の有様である。この映画にはこの四十年で日本人が失った貧しくも豊かな文化のかけらが散見されて「昭和」の好きな人間は惹かれるのである。愚老が若いころに年寄りが水戸黄門を見ていたのと変わらぬメンタリティーである。
 遅い午後に宮沢君が来たので浅科温泉権現の湯に行く。サウナから氷点下の露天に飛び出して卒中のリスクを人体実験する。夕暮れかかる浅間山の赤い眺望に年の瀬の感傷を投影してこころ落ち着くのである。
 帰路、雑踏のスーパーに寄り支援者より日本酒数の子酢蛸を買って貰う。正月の酒肴は完備された。もういつ死んでも結構である。
 帰宅すると二十一世紀書院の蜷川正大さんから歳末支援物資の到来物が届く。越後の高級米と餅ほかの温情にはただただ感謝あるのみである。越年どころか春先までの生存は担保されて、ありがたき年の瀬の過剰な豊かさである。
 無関心を装って政界の消費税茶番劇をながめている。震災後の大政翼賛大連立を成しえなかった為体を引きづっての悲惨の露呈である。来年の総選挙では自民が第一党に復活し、原則リバタリアンの第三局みんなの党がキャスティングボードを握ることを考えるとお先真っ暗の状況には変わりはない。
 おそらく貧乏な国民(非正規という名の奴隷)のマジョリティは消費税20%を暗黙に了解しているのであろう。北欧型福祉国家への道筋ならば、との納得である。少なくとも相対的貧困率16%の国民と、生活保護二百六万人(それと憲法違反状態にある六百万人の潜在的受給資格者)はそう思っているはずである。最低保障年金に代わる月一万六千円を加算すれば「月七万円」の暮らしが保障される。
 バブルの狂瀾を肌身で知る愚老はいまだ多消費の蒙昧な暮らしをつづけているが地道に生きれば月七万円の生計は優雅に近い理想的な老後の家計であることは理解している。そうして国柄が変わることは明治の維新以来の静かな革命であると私念している。
 公共放送の夜のニュースで妙なものを見た。大船渡の仮設住宅に住む独居老人に節料理が配られたという町ネタ報道である。萎びた老人が涙声で礼を言っている。それが「津波と原発」(佐野眞一)でも書かれた元ゴールデン街のオカマ、キンコのようなのである。懐かしくもヘンなものを見てしまう年末である。

追記 いま佐川急便が来て蜷川大兄からの支援物資第二弾が届いた。各種高級酒六本に蕎麦である。酒浸りの正月はこれ以上ないほどに万端の構えとなった。大兄と違って血糖値は正常であるから夢酔に明け暮れても身体疾患の心配はない。重ねて温情に感謝するのみである。

本日の出費 0円
 2011/12/29


 めずらしく明るくなってから起きだして朝の放逸にひたる。ただぼんやりとして過去をながめている。いくぶんか歳末の気分にひたって感傷を味わう。安い珈琲とチック・コリアのゆたかな時刻である。
 今年最後の掃除と洗濯。ルーチンには感慨もなく淡々と日常の時間だけが過ぎてゆく。
 今日から混みだしたゲレンデに一時間いて都会から来た若い家族連れを見物する。安っぽい家族の幸福をみる。リフトに同乗した中国人が大連出身だというので露助の町並みなどについて雑談をする。毛沢東の大量虐殺の意見を述べたりもする。どこに出しても恥ずかしい老人を演じる自我に呆れている。
 いつもの銭湯が年末休業に入ったので布施温泉に足を伸ばす。露天で寒風に吹かれて震えあがるのもなぜか小気味よい。直売所で南天を贖う。正月準備も気分のものである。
 帰宅すると佐竹レーサより煙草とリフトシーズン券の到来物が届く。レーサには今年も最後まで世話になった。友情には感謝のみある。ちょうどゲレンデの無料券が無くなったところだったのでありがたい。人生とはよくできたものでもある。
 週刊新潮のグラビアでかって何百日と呑んだ酒場の光景を見る。野村さんや阿部さんと呑んだ日々がただただ懐かしい。都さんもよく肥えて元気そうで何よりである。少し早目の賀状のように嬉しくながめていた。
 もう何日も喰らいつづけているライスカレーがようやく終わる。ほっとした。僅かに残った酢蛸ナマス松前漬けを酒肴に焼酎のお湯割りを呑みながら公共放送のドキュメンタリーを観る。プーチンもビンラディンも劇映画の配役ような現実感覚しか感じない。世界の現実感は希薄になるいっぽうである。老人はそれが愉しい。
 北朝鮮の後継者について重村智計のいう「替玉説」は今年最後の怪情報である。たしかに少年時代の写真との違和は誰しも感じていたが、実は祖父似ではなく父親似というのには大笑いした。もちろん何でもありの王朝だからトリビアだとしても怪しむに足りない。
 いまも停戦中の半島といえば妙なことを思いだした。以前にやっていた民宿にはサヨクもよく来た。そこは天の川がはっきり見えるほど満天の星が美しい山中である。大体の日本人は感動するのだがそうでない客もいた。「平壌の方がもっと綺麗だ」と言う。よど号の妻子たちである。その美しい星空の下で数十万人の餓死がいまもつづいている。

本日の出費 温泉400円 南天120円
 2011/12/28


 懐が寒いと寒気もまた身に沁みるものなのだろうか。この冬はやけに寒い。
 ここしばらく低調期の入口に入りかけたが低頭してぢっとしているうちに何とかやりすごしたような気がする。軽度の精神疾患はほとんど現代病だから付き合う術を会得すればどうということはない。困るのは健忘、記憶障害などの老化惚けである。朝起きると居間の電燈は点けっぱなし、洗面所の湯は迸っているというのが重大事である。いくら慣れたといっても少しく落ち込む。
 天候が好いのでゲレンデで一時間ほど躰を動かしたあと、今年最後のデイケア銭湯に行って日中の大半を浪費する。こういう暮らしぶりを見て「生活扶助というのは優雅」という感想を聞くことが多い。「早くくたばれ」と同義の道義的批判である。当然であろう。まあ先進国のファンダメンタルヒューマンライトってそういうもんだぜ、としか答えようがない。もしくは再分配の思想、協和的国民観などと余計なことを言って顰蹙を買う。来年は高齢法の論議も決定的に破綻するだろうから田舎でも老人就労の新形態が現われるかも知れない。実は少し期待している。
 久しぶりに地上波デジタルの民放を見て唖然とした。この国のメディアは自国民をほとんど知恵遅れとしか見ていないことを知る。でなければ露骨な愚民化策だろう。世情はそこまで悲惨になっていたのか。世の中には知らない方がよいことが多い。老人の仕合せはそこにあるのかも知れない。
 二十年ほど前からいっこうに減らないオレオレ詐欺をみていると、この国の共同体も捨てたものではないと思う。無縁化などというが形骸化しつつも儒教的精神は脈々と繋がれている。高齢化だけではここまで被害は広がらない。こんな犯罪が成立する国はコリアと日本ぐらいではないのか。
 政治に関しては異議の申し立てがますます虚しくなっている年の瀬である。世論調査からゲンパツをネグった一件にみるように、もの言えば虚無が広がるばかりである。サンダル先生がニーチェのブームにとって代わられたことをみて世間は正直だと痛感する。震災がこういう変容をもたらすとは思いもしなかった。老人は青い書生だからである。
 民主党の離党騒動など報じるに値するのか。小沢の別働隊など見て見ぬふりをするのが見識というものではないのか。マニフェスト違反をいうなら個別保障以外の3Kすべてそうである。いまさらの話ではない。
 戦後の大きな間違いは自由民主主義の信仰にあったのだなあ、としみじみ感心する。世の中から高文とともにエリート(ノブレス・オブリージュ)が消えた。灯台ホウ火の変質には目を覆う。平等原理主義の欺瞞である。どこまでも民度のクオリティを下げるのがアメリカの戦略からはじまりやがて自家薬籠中のものとなった。
 人口の一割の「公民」がいれば世の中はまわる、と何かで読んだが、たぶん政治家の二割にそういう意識があれば随分と違ったものになるのだろうと思っている。そこまで期待されない政治とは喜劇であり悲劇である。

本日の出費 0円
 2011/12/27


 寒気はやや緩むが快晴で寒冷の朝、ゴミ袋を持った手が痛いほどかじかむ。
 随分と昔のことになるが信州でも最寒の地にしばらく暮らした頃、氷点下二十六度という寒冷を体験した。無知だから軍手をしてバナナで釘を叩いていたら凍傷になりかけた。それでも身体は頑健で長袖の下着や股引は不要だった。伊達であった。いまは師走に入るともう生命維持の必需品である。
 寒冷による坐骨神経痛と炬燵の長居に起因する腰痛が悲惨である。それなのに愚かな老人はショック療法を試みている。
 午前にまた人のいないゲレンデに出かけた。何とか一時間近く寒冷に耐えたが腰痛は悪化した。下半身を支える前傾姿勢がいけないのである。重力に身をゆだねる快適も対価は大きい。里山歩きの代用品ではあるが場内放送の騒音は堪えがたい。
 暖かい休憩所のベンチでひとり腰痛緩和の椎間板伸開運動をした。他に利用者はいないから恥ずかしくもない。その足でデイケア施設に直行し再度腰を伸ばす。こちらは銭湯目的だからだらけた運動である。
 帰りに銀行によってカレンダーを貰ってくる。ついでに恐るおそる通帳を記帳してのぞく。うまい具合に公共料金は(多分)すべて決済できたようだ。越年費用もまだ二千円ほど残っている。それでも月に十万を超す家計である。この多消費は何とか改善しなくてはならない。憲法に照らして「清潔(健康)で文化的な暮らし」はこの六割で可能だろうと思っている。そうなれば数年先の完全年金生活も生計の目途が立つのである。
 坂口恭平の「年間三万円生活」が理想である。貰い物と拾い物の採集生活を夢見ている。ゼロセンターのような老人コミューンもいくつかできているらしい。時代は大正の自然主義、白樺派の昔に戻りつつある。

本日の出費 電気料金8228円 水道料金7520円 ガス料金2367円 電話料金3937円 新聞購読料3007円 インターネット利用料金742円 
 2011/12/26


 天気予報で「真冬並み」という寒冷がつづいている。最低気温は氷点下十度に近く、最高も三度を超えない。低気密住宅では起床時の室温も三、四度と寝台から脱け出るのにひと苦労する。なにも四時半に起きだすことはないとも思うが、呑まなければ十時には就寝してしまうので仕方がない。早朝は老人の時間である。
 冬至のいまは山並みから陽が上るのは七時近くである。バナナキューイ林檎人参トマトに野菜ジュースをミキシングした朝ジュースと安い豆を挽いた珈琲を淹れて食パンの朝飯を喰らい、新聞紙に目をとおした頃合いに陽が射してくる。その時点で一日にやるべきことの大半は終わった気になってしまう。
 震災後、新聞の宅配をやめたという人が増えているらしい。「原発を信じて放射能と生きる」読売だけではないらしい。インターネットの情報リテラシーがあればそれで不便はないという。既存マスメディアの恣意的欺瞞には付き合っていられないというわけであろう。それで「いま」という世界の理解がすすむのならば結構なことである。何でもいいから活字が落ちつくという時代遅れには不可能である。
 確かに新聞もテレビも報道は分かりやすい浅薄な論調に満ちている。世論誘導みえみえである。大半は大蔵方針に準拠しているようにみえる。来年度の予算も「バラマキ批判」は「財政再建」と同義である。
 貧困層にとっては低年金者への施策など、ようやくこの国もアメリカの機会平等・自由競争の欲望資本主義から北西ヨーロッパの福祉国家型へと自覚的に百年の計を変更しつつあると思えるが、かっての進歩派リベラルの朝日の論説もそうは書かない。不思議なことである。
 老人は周回遅れのランナーだから呪詛と断定に満ち満ちた愚痴を世間の片隅で呟いているだけである。無知と蒙昧は無害だととは思っているのでできることである。
 快晴の年の瀬にやることもないのでクルマで一〇分もかからない町はずれの小さなゲレンデに行ってみた。先日、飲み屋で無料券を貰ったからである。何年も使ってない板の錆を磨き、薄汚れたウェアを引っ張り出した。見た目も時代遅れである。
 客のほとんどいないゲレンデで三〇分ほど遊んでみた。寒冷がきつい。手術をした右の指先が冷えてどうにもならない。神経麻痺の後遺症である。老体は寒さに弱いことを確認して引きあげた。
 冷えきった躰を銭湯で温めてようやくひと心地ついた。帰宅して喰った二日目のライスカレーが旨かった。少し残っていた梅酒を空にして何もない一日は暮れた。

本日の出費 煙草2500円
 2011/12/25


 栄養でも足りていないのか、視力の低下が止まらない。テレビの字幕も困難ならば本を読むのも忽ち疲労する。活字が読めないのは不便である。霞目も加齢によるものだから対処の仕様がない。だからこの数日(世間では連休)は専ら酒と惰眠と邦画を消閑にあてた。「フーテンの寅」ばかり観ていた。昔の江戸川の土手がでてくるのでそれだけでよいのである。
 天長節の午後に大工から連絡があったので、またふたりで布施温泉に行った。帰路、熟考の末にコンビニでカネ(五千円)を下した。この残高では月末の光熱費は決済できないが致し方あるまいと諦めた。
 スーパーで米と紙パックの日本酒を贖った。早くも店頭に並んだ酢蛸数の子膾蒲鉾の酒肴は大工に買わせてアパートでの家呑みとなった。天長節の奉祝である。
 宿酔の翌日に灯油がなくなって隣のガソリンスタンドにポリタンを下げて行ったのは、たぶんまた大工に借金をしたのだろう。財布にまだカネが入っていた。呑むとだらしがなくなって困ったものである。この寒波で雪も薄く積もったが気温はほとんど真冬日に近い。最高気温は上がっても一、二度までである。
 大量の馬鈴薯カレーを作った。越年用の餌である。それから横臥してテレビでバカな香具師をながめていた。よくできた川向こうのキャラクターと天才的なコメディアンに感心することしきりである。森々と冷える夜分には残っていたブランデーなどをチビチビ飲りながらそのうち記憶は溶解していったのではなかったか。
 三日酔いの昨日もアパートに蟄居してテレビをながめていたような気がする。森内、久保の早指し戦は米長の解説が抱腹絶倒であった。それぐらいしか記憶にない一日だった。生活のスタイルがいっこうに改まらず余計に逃避的な性向はつのるばかりである。なんだかだんだんと年の瀬の寂寞がすきま風のように心身にしみてくるようである。
 この寒さでは里山歩きに出かけようという気分も萎えて、また炬燵にもぐり込むのが関の山である。ほとんど寝たきり老人と似たすがたである。

この三日間の出費 米酒食糧等2940円 灯油1602円
 2011/12/22


 よく知らなかったが天長節からの三連休にクリスマス寒波がきて列島が冷え、それから年が暮れていくらしい。暦日のない生活では越年もただの週末に過ぎない。震災の年は暮れても震災後は恐らく死ぬまでつづくだろう。
 餅ぐらい喰いたいと思ったらストッカーに何年も前のサトウの杵餅が見つかった。なぜか安堵した。
 気が向いて机回りの整理をはじめたら一日仕事になった。身辺整理は日常的に意識してやるようになっている。それでも日々の滓のような塵(ほとんどは新聞雑誌のクリッピングとメモ書き)は堆積していく。単行本は買えなくなったが文庫と新書は少しづつ増えていく。
 途中、パソコンと銭湯で休んだほかは夜まで老中整理をやっていた。おかげで身辺が少しはすっきりした。歳末気分になった。「身辺は単純明快がよい」と言ったのは秋山好古だったか。
 何年も前の遺言書もでてきたが破り捨てた。以前は毎年正月に遺言を書き直す習慣があった。死亡時の連絡網、加入している保険類、葬式無用戒名不要の類の事務的手続きの覚書である。いまは保険もなければ言い残すこともないので遺言の必要もなくなった。ただ静かに逝けばよい。願わくば孤独死がなるべく腐乱の進まないうちに発見されることをのぞむだけである。それには冬が希ましい。
 剃刀の刃がなくなったので半月ほど髭を剃っていない。散髪も二か月以上やっていない。そのせいか何人かにナマホらしくなってきたと言われた。ひとは見た目が九割だから多分それでいいのである。チープシックの清潔などなくても仕方がないのである。
 今日は銭湯が休みなので温泉の柚子湯にでも入りに行きたいが、越年の二週間を二千円で暮らさねばならないのでアパートのシャワー(落とし湯は水道・電気代が怖い)で我慢するしかない。
 あとは寝転がって内山節でも読むぐらいである。午後からは天気も崩れそうなので炬燵でメランコリーにひたるのもいいかもしれない。貧乏の愉しみである。

本日の出費 0円
 2011/12/21


 師走の風が身に沁みる。
 この分では恥ずかしながらも震災の年も生きながらえそうな気がする。多分、来年も廉恥に塗れながらもひっそりと息をしているような確信に似た予感がある。厄介なことである。「死にたい老人」(木谷恭介)を見習って飯を減らしてはいるが身体は意外にしぶくて頑丈である。困ったことである。
 ほとんど無意識のうちに日の時が過ぎていく。ルーチンで掃除や洗濯をして(翌日にはまったく憶えていない)飯を喰らい、銭湯(ケア施設)にだけは通っている。そこで受付の職員と言葉をかわさないと終日無言の日がつづくからである。
 久しぶりに駅前のジャスコで行きバナナ食パン納豆レタスなどを贖う。商業施設にはクリスマス、正月用品が並び年末風情がどこか懐かしい。ふとアメ横や築地場外のせわしい活気を思いだしている。どこまでも遠い風景である。
 昨日はふらりとアパートからいちばん近い里山に行ってみた。登山口まで十五分とかからない。山は平尾富士という。高速道路の出入り口とサービスエリアに人工降雪の小さなスキー場まである。
 山は全山に縦横の散策コースが配され森林セラピー、サンクチュアリ、ビオトーブと管理された生態系の偽装された自然を演出している。今風の観光乱開発の極みである。悲惨このうえない。それを市民の森と称して恥じないのが貧相な行政である。数日前に登った太郎山とは千里の径庭を感じる。
 駐車場からほとんど直登で四十五分ほどの行程である。意外に急坂で階段も多い。階段は筋トレのようで老人には不向きである。息が切れた。山頂(1156米)の看板で木花開耶姫にちなむお山だと知る。だから富士浅間神社の祠があった。
 うすく霞んではいるが愚老の住む佐久盆地の町が鳥瞰できる。高速道路、新幹線で中央に結びつこうと必死に志向してきたなれの果てに疲弊したかっての鄙が広がっている。
 ぐるりを巡って下山しても全一時間半ほどの山歩きだった。
 その足で中込の職安に行き老人雇用の求人を探して、よく分からない食品加工の会社に電話をかけ男性不可と断られる。バカらしくなって年内の就労活動はこれで止めにする。
 それから銭湯に行って汗を流した。アパートに帰って何か喰ったはずだが記憶にはない。そういえばこのところ北野映画をつづけて観ている。趣味ではないがおもしろい。
 それにしてもこのところ身から離れない疲労感は何だろう。いまごろになって東電の国有化を報じる新聞の事なかれ報道ばかり見ているせいか。いつまでたっても震災後の変化の芽が育たないことへの苛立ちなのか。時代が変わらないからニヒリズムの雲が晴れない。
 どちらにしても「ひとりローカリズム」しか生きようのない老人にはどうでもいいことである。生活費もなくなったことだし、さて銭湯にでも行って来よう。

この二日間の出費 食品等1248円 携帯電話1271円 有料テレビ2450円 
 2011/12/19


 ときに「がさつ、ぐうたら、ずぼらという美しい濁音のひびき」(伊藤比呂美)を嫌悪し日常にカンマを打ちたくたくなるのは戦後民主主義教育で刷り込まれた「体育」の思想による。石坂洋次郎以来の肉体主義であり「青い山脈」の下らない「健全」である。それがこの数か月の里山歩きのインセンティブである。
 快晴だが朝の外気が頬を刺す。数日前にこの冬はじめて氷点下も二桁の寒冷があった。寒気はまだ居座っているようだ。町を抜けると浅間山麓の林間がすべて霧氷で白く煙っている。冬至の候の凛冽な朝の風景である。
 上田の太郎山に行った。上田盆地の北をふさぐ後背地の山である。市街地のバイパスから五分も入った登山口は高速道路が穿つ太郎山隧道の口のすぐ上にあった。時刻は九時半を回った頃である。クルマの騒音がうるさい。
 表山道と記されたコースを歩く。それなりの斜度があるのでゆったりとしたペースで登る。道は広く歩きやすい。すぐさま下山の老人ふたりとすれ違う。小さな石の祠と板標の丁石が道程を刻んでいく。たしか三番からはじまって廿三番まであったから、その先の山頂までは二キロちょっとしかない。一丁は109メートルである。
 葉の落ちた広葉樹の林は明るい。ときおり陽光も降りそそぐが周囲は雲に隠れている。樹間からの眺望は霧のみであった。気がつくと高速道路の騒音は消えている。冬鳥のさえずりが耳朶に届く。下界から離れることは好ましい。
 大きな石の鳥居がある。太郎山神社と記されている。古い木の祠もひっそりと鎮座する。
 のんびりと行くから後続の老人に追い越された。最後の石段を上ると大きな朱の鳥居があって太郎山神社の意外に広い境内だった。立派な社殿である。明治初期の造とある。参拝しても祈念することはない。さみしい老人である。そのわきに南に展けた明るい広場があった。
 雲上の太陽は燦々と照りつけるが眼下は厚い雲と霧しかない。ベンチに座して煙草を吸う。茶を飲す。ほとんど無風で陽光は暖かいが気温は零度に近いのだろう。しばらくして束の間、盆地を覆う雲が切れた。ゆったりと蛇行する千曲の流れを中央に上田の町がいっとき姿をあらわす。正面に見えるはずの美ヶ原、北アルプスの眺望は厚い雲の向こうである。
 つぎつぎと登山者が登ってくる。神社に参拝し記帳してはすぐに帰っていく。長い杖を持った人々は登山の格好ではない。野良仕事のスタイルである。みな古希前後の老人ばかりである。表山道は「表参道」であった。老人の原宿であったのだ。
 何人かのジイサンに取材して理解した。太郎山は昔から小県郡の民にとって鎮守の山であり、くらしの平穏無事を祈願するお山であった。ときに養蚕の神であり、旱魃の年には雨乞いの神であったらしい。その習俗はいまの老人に受け継がれている。
 一年欠かさずお参りする老人が何人もいるという。ここから富士山を拝んでから昼飯を食うと美味いんだ、と古老は目を細めた。今年の元旦には四百人の参拝者があったという。人口は減ってもこの国の田舎は捨てたものではない。もちろんお山に穴をあけた破壊行為は罰当たりと悔やんでいるはずである。
 神社から二百メートルほど行ったところが山頂(1164米)であった。直行すれば七〇分ほどの行程である。その広場は北向きで雲に入り陽もなく寒かった。赤い帽子の地蔵がぽつねんとある。まわりの草木には白い霜がついて幻想的でさえある。なぜか老人たちはこちらには来ない。
 午飯には早すぎる。さっさと下山した。四、五人の老人を追い抜いた。登りは遅歩でも下りは速い。どちらも重力に逆らえないからである。その体力がないからである。四〇分ほどで下り終えた。ほとんど汗ばむこともない里山歩きであった。
 帰路はいつもと趣向を変えて街場の銭湯に寄った。信越線田中駅前の「ゆうふる田中」という外来入浴施設である。この辺りの旧北国街道の宿としては再開発でいちばんきれいになった町並みである。過疎地だからショッピングモールも商店街もない。だだっ広い清潔な道がとおり人の姿はない。どこかアメリカの片田舎の風情である。
 昼の温泉にも客は数人である。露天にひとり、ぼんやりとしてある。
 以前に読んだ加藤典洋のゴジラ論を想起している。その震災後の新しい本では「文化象徴」として鉄腕アトムを対峙させて論じている。両者の対話がおもしろかった。
 ゴジラは核の恐怖を体現している。最初の作品は昭和二九年の第五福竜丸の被爆を契機としてつくられた。加藤によれば半世紀に渡って日本人の関心事となったゴジラ映画には、戦後の日本人の戦争の死者に対する「うしろめたさ」があるという。戦後日本は敵国の民主主義に説得されて国柄を変えた。やがて英霊との向き合い方を見失った。そしてゴジラはその都度、核実験で甦り南の海からやってきては「自分がそのために死んだ国はどうなったのだ」と悲憤し故国を蹂躙するのである。ゴジラは核の恐怖とともに戦没者の「怨念」という文化アイコンであった。
 一方の鉄腕アトムは広島、長崎の被爆者の「祈念」であった、と加藤はいう。原爆という破壊力の犠牲になった人々の、原子力を人類の幸福と繁栄の力に「反転させたい」という希望、祈念が生んだ文化アイコンがアトムだった。まさしく「アトムズ・フォー・ピース」である。
 だが、被爆者(国民)はアイゼンハワーのアメリカに騙されたわけではない。(手塚治虫のアトム構想はアイゼンハワーの二年も前である)。「核兵器は死滅につながるが、原子力は生命につながる」という悲しいほど紋切り型の二律背反論はどこからきたか。
 それこそが日本の「被爆体験」であったと加藤はいう。当時、原爆という核の非道に対決して正義を実現し、犠牲者の無念を晴らすには「原子力の平和利用」という理念が強固に希求されても不思議ではない、と理解するべきである。
 それがとんでもなくバカげたことであったと気がつくのはフクシマを経験してのちのことであった。そんなことをつらつら考えていた。
 湯からあがってロビーのテレビを横目でながめると半島の独裁者の顔があった。山に行くと何かしらよいことはあるものである。

本日の出費 握り飯200円 温泉500円
 2011/12/18


 ぼうっとしているうちに三、四日が忽ち過ぎていった。その間に何をしていたのかという記憶は漠然としている。いつものことであり、馬齢を重ねるとはそんなことの反復と蓄積である。
 肺気腫(いまはCCPDというらしい)だろうと疑っている呼吸器の不調もつづいている。肺癌を期待しているので痛みは我慢している。腰痛緩和体操やプール歩行訓練は銭湯のついでに軽くやっている。こちらは我慢ができないほど痛むからである。
 偶数月の十五日は年金支給日だったので外飲で羽目を外してしまった。翌日の悲惨な宿酔で思うのは後悔は先に来ないという冷徹な事実のみである。
 何本かテレビで映画を観たような気もするがよく憶えていない。テヴッィド・フィンチャーの「ソーシャル・ネットワーク」は面白かった。役者のうまさに感心した。それにしてもアメリカ映画も三十年ほど観ないうちに変わったものである。マーク・ザッカーバークを描くのにサクセスストーリーでもマネーゲームでもなく、主題はオタクの知性、またはその病理だから意表を衝かれる。妙な既視感で思いだしたのは「レインマン」の自閉症ダスティン・ホフマンである。しかし、その時代にあった家族愛(兄弟愛)は跡形もなく消え失せて家族は一切登場しない。友情さえ儚いものである。そのあっけらかんとした時代相は小気味よいほどであった。

 新聞やテレビをながめているといかにも年の瀬らしい慌ただしさである。
 世界の相貌とは混沌やエントロピーであることを思い知らされる。老人は世情から隔絶されて暮らしているので大半は無関心を装っている。何事にも無縁である。今日の飯さえ喰えれば他はどうでもよいことである。
 八年近くつづいた大義なきデタラメな戦争の最期の兵隊も「おかえりなさい」と迎えられ帰国した。よくは知らないが軍事ビジネスの連中はまだ居残って稼ぐのか。クライアントを米軍からシーア派に乗り換えて戦争を続行するのか。傭兵だってリストラは困るだろう。
 日韓でまた慰安婦問題が再燃したらしい。千田夏光に話を聞いたのはもう四十年も昔のことである。それにしても韓国の大統領の冴えない顔(たぶん潰瘍)はどぜうと並べても遜色がなかった。根がビジネスマンだから歴史観などは不得手に違いない。
 フクシマでは「事故収束宣言」を発した途端に世界中のメディアから「悪質なプロパガンダ」と袋叩きにあっている。まあ当然であろう。事故の収束とはその分析検証と賠償がなされてはじめて成り立つのである。
 そして今日は金正日が死んだらしい。UBL、カダフィと反米の大物が死ぬ年だった。まずは暗殺の疑われる、年の瀬に相応しい訃報である。独裁者はなべて六十九才で死すらしいが、日本人の大方はこの独裁者が死ねば何かが変わると漠然と思っていた。
 拉致も核もコリアの吸収合併もよい方向に変わると根拠なく楽観していた。だがいざ死んでみれば軍事クーデターや国家崩壊、難民流出、南北戦争の可能性も少なくはないのではないか。平和ボケとは目出度いことである。少なくともこれで従軍慰安婦はひとまず消えた。防衛大臣と国家公安委員長(拉致担当)はお飾りで済まなくなったので直ちに辞任するだろう。それが世間の常識である。
 そういえば昔のサヨクの冗談を思いだす。北はかってはロシアと中華の二夫にまみえる妾だった。だから主体性を持とうね、というのがチュチェ思想である。
 
 フクシマに関して戯言のような雑感を記す。
 収束宣言に関してどぜうに責任はない。増税と同じく原発事故についても通産、防衛、外務複合体の忠実な飼い犬(傀儡)である野田に「政治家の言葉」などを求める方がどうかしている。責任は飼い主にあるに決まっている。
 ざっと昨日までのプロパガンダでいくつかのことが解った。
 まず「国策」に変更の選択肢のないことがはっきりした。原発の「維持継続」である。そのためには勝大蔵の支援もとりつけたらしい。
「帰宅困難地域」(失われた故郷)を「三十年以上」(一世代)と明言したのは愚老の知るかぎり二度目である。土地の買い上げ(国有化)に触れたのははじめて聞いた。つまりその土地を「移染物質」の中間貯蔵施設にする。遺棄された山河を「核のゴミ捨て場」にするという当初の方針を始動させるべく動きはじめたわけである。
 だが、その国策も震災後の「脱原発七割」の民意の渦中では言いだせなかった。時間稼ぎである。そのために利用したのが立地二自治体で起きている「差別と対立」であった。官とは恐ろしい組織である。フクシマの被災者を人質にとり「地元の意向」を隠れ蓑の大義名分にして正力以来の原子力政策だけは手放さなかった。
 通算外務防衛複合体が死守しようとしている「国策」とは核の「技術抑止力」である。そのために必須な核燃料サイクルである。だから原発をやめるわけにはいかない。
 六ヶ所村の再処理工場、もんじゅ、プルサーマルもたとえ実現不可能と判っていてもつづけなくてはならない。
 わが国は「いつでも原爆を作れますよ」と、それを暗に(明らかに)示すのが「技術抑止」である。その条件はプルトニウムを量産できる体制を自前でもっていることである。その技術力と経済力である。
 考えてみればあれだけ頻繁にやっている世論調査からゲンパツが消えた。推進も脱も問わない。もちろん既存メディアは「原発容認」(読売系)か、もしくは「脱原発を意見したが裏切られた」(朝日系)のエクスキューズを用意しているからである。
 民意とはそんなものである。世論など落葉のように掃き捨てられる。どうせ忘れっぽいのが日本人、と舐めているからである。
 もちろん議会制民主主義とはそういう横暴は許容するシステムだから文句を言う方が悪いのである。
 技術抑止が気になったのは加藤典洋の『3・11』にその辺のことが出ていたからである。よく聞かされた「民主・自主・公開」の原子力開発三原則も、その当初にアメリカ製の技術輸出ということで「自主」は省かれた。湯川秀樹はそれで原子力委員を辞めた。
 東芝(ウェスティングハウス)の新世代炉は絶対に事故が起きないと喧伝しているが、そんなによいものだったらアメリカが手放すはずがない。結局、核を持てないという敗戦国の悲哀がコンプレックスとなっていまにつづくのがこの国のゲンパツなのである。

この三日間の出費 デイケア施設利用料6300円 外飲2000円くらい 煙草2500円 温泉500円


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